
花野子が出来るまでの物語 その5
バッハでの修行が始まった。
当時、息子が西船橋に下宿していたため、そこへ寝泊りしながら、月に数回、約半年間それは続いた。
ハンドピックして焙煎、毎回自分で焙煎した豆を何キロもバックに入れて持ち帰った。
そして、それを友人や知人たちに飲んでもらい、批評してもらった。また、これがお店始めるよという宣伝にもなっていた。
帰りの電車では、珈琲の香りをプンプンさせた珈琲男であった。
6月頃から場所・物件探しが始まる。
いざとなると、なかなか思うような物件に出会えない。
また不安や焦りが大きくなり、次第に会話が減る・・・・といういつものパターン。
そこに来て失業保険もそろそろ終わり・・・・・
8月、お店の名前はどうしよう?色々案をだいてもぴんとこない。
そうだ!詩人の野歩ちゃんに相談しよう。電話をすると、野歩ちゃんから1分で答えが
かえってきた。
「花野子」 清一は妻の名前などとんでもない!大反対。
野歩ちゃんは、由来を教えてくれた。
「清一がサラリーマンを辞め、野におりお店という子を持って、もう一度花をさかせよう。という思いが詰まってる。
」と聞き、かの子は、自分の名とは別物と考え、その字も素敵だし大賛成した。
そののち清一を説得するにあたり、野歩ちゃんとかの子は相当苦労した。
9月に入ると清一は、「いい場所があった、決めようと思う。」と、今沢の今の場所を探してきた
バッハの田口社長と中川部長にも、わざわざ東京から来ていただき、物件・場所をみてもらい、ここでよしと大小判をもらう。




