花野子の珈琲ができるまで

花野子の珈琲ができるまで

花野子が出来るまでの物語 その4

翌年お正月 2001年を迎えた。
年賀状の中に、中学時代からの恩師からの1枚が目にとまった。毎年先生は御自分で版画をされ詩も彫られている。
2001年の年賀状は、「バッハの夜明け・・・・・」とあった。
「運命だ!バッハさんに決めよう!でもさてどうやって?」
「ねぇお父さん、バッハさんにいちかばちか電話してみたら?」
何日も電話をためらっていた清一。だが、意を決して電話をした。

どきどきしながら「田口社長をお願いします。」すると偶然にも、社長に代わっていただくことができ
「じゃあ一度来てみなさい」と、幸運にも1本の電話で面接の運びとなった。  

この時の清一は多分、一生のなかでもかなりの嬉しさだったに違いない。
いよいよ面接の日、久々のスーツに着替え、不安を抱えながらも意気揚々と東京へ向った。

つづく・・・